初代社長 芳井一夫氏と戦艦大和
the origin
プロローグ
我が前畑造船株式会社はこの7月2日で創立78年を迎えた。
これを機に我が社の歴史を紐解いてみようと調査するうちに改めて初代社長である芳井一夫氏の偉大さを思い知った次第である。
造船屋にとって一度は造ってみたいと思うあこがれの船が「戦艦大和」である。
私も少年時代見よう見まねで木工細工等で戦艦模型造りに勤しんだものであるが、やはり戦艦大和は格別であったような気がする。
造船屋になった原点はやはり戦艦大和ではなかったかと思う。
その戦艦大和の建造に直接携わった人物が我が社の初代社長の芳井一夫氏であったのだ。しかも実務での最高責任者である作業主任と言う立場である。
その偉大な芳井社長の足跡を辿ってみたいとの思いで、纏めてみた次第である。
令和8年7月
前畑造船株式会社
取締役会長 田頭愼一
戦艦大和について

戦艦大和は、建造そのものが徹底して秘匿されていたため、戦後になってやっとその技術の詳細が判明している。建造時の様々な技術がその後の造船立国日本の礎となったことは明らかである。
大型球状艦首(バルバス・バウ)
先駆的だったとされ今に活かされる技術の一つが、「大型球状艦首(バルバス・バウ)」の本格採用。造波抵抗を減らすために日本海軍の大型戦艦として初めて採用し、速力と燃費を向上させた。
電気溶接
建造現場においては、「電気溶接」の併用により、それまでのリベット溶接に比して強度の向上、船体の軽量化、作業時間の短縮を同時に達成した。大型艦への溶接導入は当時技術が発展途上であり亀裂や強度不足のリスク管理という課題を乗り越えねばならなかった。
装甲板の製造
分厚い甲板を均一に保つための装甲板の製造・熱処理は、高度な製鋼・圧延・焼き入れ技術を必要とした。
ブロック建造法
現在では主流となっている「ブロック建造法」(船体を分割ブロックで並行製造して統合する工法)は大和で初めて本格的・組織的に導入した。
先行艤装
船体完成前の段階から艤装を並行して進める「先行艤装」を確立し、工期短縮を実現した。
ドックに大屋根を取り付けるなどして秘密裏に建造された当時世界最大の艦艇の進水は、煙幕を焚いて様子を見えなくする徹底ぶりの中、艦体重量バランス、ドック内の水位調整など非常に難しい進水管理を要求された。
困難極まる建造現場で作業主任として奮闘した芳井一夫は、戦艦大和の建造に一身をささげ、その進水時には一切を指揮したとされている。

前畑造船株式会社初代社長・芳井一夫の年譜
| 1894年 [明治27.04.20] | 0歳 | 大阪に生まる |
| 1919年 [大正08.07.10] | 25歳 | 東京帝国大学工学部船舶工学科卒 |
| 1919年 [大正08.07.18] | 25歳 | 職場 横須賀鎮守府 在籍 |
| 1919年 [大正08.10.14] | 25歳 | 職場 舞鶴海軍工廠 在籍 (在籍期間:6年5カ月) |
| 1921年 [大正10.10.15] | 27歳 | 階級・役職 海軍造船大尉 就任 |
| 1922年 [大正11.11.20] | 28歳 | 艦政本部部員 職場 艦政本部 在籍 |
| 1923年 [大正12.10.25] | 29歳 | 職場 横須賀海軍工廠 在籍 |
| 1926年 [大正15.09.15] | 32歳 | 米国出張 |
| 1926年 [大正15.12.01] | 32歳 | 階級・役職 海軍造船少佐 就任 |
| 1930年 [昭和05.04.01] | 35歳 | 佐世保海軍工廠造船部検査官 職場 佐世保海軍工廠 在籍 (在籍期間:6年5カ月) |
| 1931年 [昭和06.12.01] | 37歳 | 階級・役職 海軍造船中佐 就任 |
| 1936年 [昭和11.09.16] | 42歳 | 海軍造船中佐 職場 呉海軍工廠 在籍 (在籍期間:4年2ヶ月) |
| 1936年 [昭和11.12.01] | 42歳 | 階級・役職 海軍造船大佐 就任 |
| 1937年 [昭和12.11.04] | 43歳 | 呉海軍工廠にて戦艦「大和」起工 |
| 1938年 [昭和13.03.29] | 43歳 | 三菱長崎にて戦艦「武蔵」起工 |
| 1940年 [昭和15.08.08] | 46歳 | 戦艦「大和」進水式を指揮 |
| 1940年 [昭和15.11.01] | 46歳 | 戦艦「武蔵」進水 |
| 1940年 [昭和15.11.15] | 46歳 | 佐世保海軍工廠造船部長 職場 佐世保海軍工廠 在籍 (在籍期間:4年9ヶ月) |
| 1941年 [昭和16.07.01] | 47歳 | 佐世保海軍工廠にて1ヶ月間「武蔵」の艤装(舵、プロペラ軸、プロペラ取付) |
| 1941年 [昭和16.12.08] | 47歳 | 太平洋戦争勃発 |
| 1941年 [昭和16.12.16] | 47歳 | 戦艦「大和」竣工 |
| 1942年 [昭和17.08.05] | 48歳 | 戦艦「武蔵」竣工 |
| 1942年 [昭和17.11.01] | 48歳 | 階級・役職 海軍技術少将 就任 |
| 1945年 [昭和20.04.07] | 50歳 | 戦艦「大和」沈没 |
| 1945年 [昭和20.04.12] | 50歳 | 長男芳井輝夫少佐、沖縄特攻で戦死 |
| 1945年 [昭和20.08.05] | 51歳 | 呉海軍工廠造船部長 職場 呉海軍工廠 在籍 (在籍期間:数ヶ月) |
| 1945年 [昭和20.08.15] | 51歳 | 終戦 階級・役職 海軍技術中将 就任 |
| 1948年 [昭和23.07.02] | 54歳 | 株式会社前畑鉄工所設立、初代社長に就任 階級・役職 株式会社前畑鉄工所設立 初代社長 就任 職場 株式会社前畑鉄工所 在籍(在籍期間:37年4ヶ月) |
| 1983年 [昭和58.06.25] | 89歳 | 前畑造船鉄工株式会社、会長に就任 階級・役職 前畑造船鉄工株式会社 会長 就任 |
| 1985年 [昭和60.10.31] | 91歳 | 前畑造船鉄工株式会社、会長を辞任し退社 |
| 2002年 [平成14.02.08] | 107歳 | 肺炎のため死去 |
エピローグ
そして前畑造船へ ~受け継がれる「ものづくりのDNA」


芳井一夫は大和を進水させた後、佐世保海軍工廠の造船部長として一旦佐世保に戻り、後に呉海軍工廠にて造船部長として終戦を迎えています。
そして1948年、波穏やかで水深も深い佐世保港の一角の前畑湾で、佐世保海軍工廠時代の技師たちと共に前畑鉄工所(現 前畑造船株式会社)を設立し初代社長となりました。
創業間もない頃は、海辺にレールが敷かれて簡単なデリッククレーンがあるだけの工場で、炭鉱で使われるトロッコ等の修理などの業務からのスタートでした。
それから40年近く、1985年会長職を辞するまで、その「ものづくりのDNA」を社史に刻み続け、大和建造で培った技術と経験を、戦後の民間造船業(遊覧船、旅客フェリー、タンカーなど)に引き継ぎました。また、技術の向上に取り組み続ける企業体質を築き上げた結果、前畑造船は電気推進船など省エネ船も多く手掛けるなど付加価値の高い船造りが特徴で、その技術力と信頼で高い評価を得る企業となっています。